今回の選挙全体を少し振り返ってみたいと思います。
■低投票率
今回の統一地方選挙は、いや、今回の統一地方選挙も、やはり投票率が低かったです。
「投票率が低い。これではマズイ!だから皆さん選挙に行きましょう」
と私も散々訴えてきましたが、あの「ヤバい経済学」を書いたスティーブン・レヴィットとスティーブン・ダブナーの「ゼロベース思考」という本であるインスピレーションを得ました。
この本は人がどういうモチベーションのもとに行動を取るか、という独自の切り口で経済を考察するとても面白い本なんですが、その中に人が動くモチベーションは、道徳的なものよりも「みんながそうしてる」というもののほうが強いという主張がありました。
その主張に沿って選挙をみてみると「投票率が低いから投票しよう!」という道徳的なアピールはかえって「あ、そんなにみんな行かないなら自分も行かなくてもいいや」という意識を誘発してしまう可能性もあるということ。
今後の投票率アップへの働きかけにぜひ活かしてみたいなと思います。
■美人市議
そして今回の選挙では、「美人市議」や「イケメン市議」が取り沙汰されることがまたしても多かった気がします。
投票率が低くなれば無関心層の投票が相対的に少なくなるはずですから、美人やイケメンという理由で流れる票は少ないはずで、投票率との相関関係はわかりません。
ただ、言っていることも政策も似たようなもので比べようがない、だったら若かったり見た目がいい方でいいか、という消極的な選択が多かったのかもしれません。
加えて政治に対するあきらめ感でしょうか。
かつて私も、「政治家を選ぶ基準はなにか?イケメンを選べという説」というブログを書いたことがあります。
これは岡田斗司夫さんのツイッターを参考にしたものですが、顔の良し悪しというよりも印象の良し悪し、という意味合いでしたが、さらに一歩後退して「見た目がいい人でいいや」という雰囲気に本当になっているとしたら、日本の政治はほんとうに危機的状況にあると言えます。
■選挙カー
選挙の時のウザい代名詞である選挙カー。
何の意味があるのか私にもさっぱりわかりませんし、そんなので選んではいけないはずだと考えています。
私自身も2期目の県議選の時には、東日本大震災直後だったということもあり、選挙カーを使わずに選挙をしました。
それでも当選できましたし、最近は「選挙カーを使わない」をウリにしている候補者も結構目にします。
そんななか、こんな興味深い記事がありました。
確かに「選挙カーで名前を聞いたから投票した」という人は0.5%にも満たないわけですが、そもそも投票してもらうのが目的ではないというのです。
つまり、名前を少しでも刷り込むこと。
悪いイメージだろうがなんだろうが、名前を知ってもらうということが有利になる、という考察で、だからこの選挙カーもいつまでたってもなくならないのだな、と。
しかし、だからこのままでよし、ではなく、できれば有権者が等しく候補者に、しかもできるだけ生に近い形でアクセスでき、比較して投票できるカタチにしたいものです。
皆さんの選挙に対する思いや考えなどもぜひお聞かせください。
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